ただ、ここにあるもの

でんねこが骨を埋める場所

「SELFISHNESS(セルフィッシュネス) ―― 自分の価値を実現する」を読む(1)

買ったので読んでみないとね、と思ったけど思った以上にボリューミーで、考え方も噛み砕いていく必要がある。
しばらくこれを食料に生きていけそうな気がする。本は食糧。

現在は「9/100ページ」まで読んだ。そのうえで色々語ってみる。

 

 

 

人間の持つ利他主義が如何に危険かを解くなかでキーとなるのは『利他主義と倫理観(道徳)の結びつき』だと考える。
本来人は社会のなかで生きていく群体であり、群れから外れれば、群れからはじき出されれば、それはすなわち死を意味する。それがうちの考える思想だ。
利他主義と、それに付随する倫理観は群体として生きる処世術としては最適解だと考えている。なぜなら『誰かに尽くすことで、他の誰かから施しを得られる』という思想のもとで動くからだ。いわゆる『助け合いの精神』『和を重んじる』というのは利他主義の最もたるものとも考える。

 

しかし、この利他主義は果たして正しく動き続けるのだろうか? 善の永久機関が成立すれば利他主義は最高の発明なのだが、現実にはそうもいかない。
尽くす側は次第に強欲になって、吸い付くし、施す側は施しどころか身ぐるみを剥がされ、痩せこけていく。これが現代の利他主義あるあるだ。
最近の表現に『エナジーヴァンパイア』というものがある。他人の気力やメンタリティを吸い取り、疲れさせてしまう人をいうが、共存を重んじる利他主義の世界でなぜこんな事が起きてしまうのか。

 

答えはおそらく『文明の発展が利他主義という概念から倫理観を失われせたため』と考える。何でも手に入る世の中で、人はある程度1人でも生きていけるようになった。群体生物が半群体へと進化したことはめでたくもあるが、一方で唯一手に入らないものに人は群がる。お金やコミュニケーション、承認欲求などなど……。

利他主義ではこれらの不足を富めるものが施さなければならない。でなければ富めるものはたちまち『私腹を肥やすもの』として非難される。非難されると言っても互いに人間であり、物事には限度がある。限度があると言っても人々は際限なく欲する。
倫理観はこれらの行き過ぎを咎めるが、現代は物価高や孤立、職にあぶれたもの達と、倫理観を養うにはあまりに厳しい場と言える。
たとえSDGs環境税を設けても、それが個々人の生活を潤すだろうか。

閑話休題

悲しいかな、こうした現代において一部の人々は『牙と毛皮を持つケモノ』から『金棒を持ち、虎側のパンツを履く鬼』に進化してしまったのだ。鬼に食われる道理はないと逃げるものもいれば、鬼に捕まり骨の髄までしゃぶられるものもいる。これが現代における利他主義の現状と考える。

これに対し『神は見ている』と宗教的な解決策を図ったり、給付金を配ったり困窮対策をおこなったりなどの政治的な解決策を講じることはできるが、この本はあくまでもそれらには言及せず『SELFISHNESS(利己的)』にスポットを当て、同時に正しい道徳と称する『オブジェクティズム倫理学(客観主義)』に言及するようだ。

長くなったので今日はここまで。ちなみにここまでは前段であり、誰でもサンプルで読むことができる。