ただ、ここにあるもの

でんねこが骨を埋める場所

「SELFISHNESS(セルフィッシュネス) ―― 自分の価値を実現する」を読む(2)

今日は「17/100ページ」まで読んだ。
 

 

 
冒頭の一説を見た瞬間、私は少し後悔した。もしこの本は宗教的導きに基づくものだったら、★1でもつけてやろうかという気分になってしまった。
冒頭でジョン・ゴールドが語る姿は、カルト宗教ではよくあるフレーズだ。己のこれまでの価値観は、いかに愚かで、壊滅的で、破滅に導くものか。しかし、まだ遅くはない。今行うべきは立ち返ることではなく、見つけ出すことだーー。
これに『私の導きのままに従えば、真の道徳は見つかる』と付け加えたら完璧だ、私は昇火士としてこの本を焼却してしまうところだっただろう(本を見た後にそのフレーズを使いたがる様は、恥ずかしいとはおもわないか?)
 
 
11/100ページの中でこのようにある。
 
『(前略)唯一の違いは「誰の」きまぐれか、自分の、社会の、独裁者の、神の気まぐれかの問題だけです』
 
そもそもの定理として倫理というものが何者かの気まぐれという不確かなもので出来ているのであれば、これほど恐ろしいものもない。言ってしまえば我々は自由自在に姿を変え、大きな目で見つめ、不埒な者を噛み砕く顎を持つ、得体のしれない『倫理』とい名の化け物に見張られていることを意味する。
よりしっかりとした言い方をすれば、これは『社会の圧力』であり、社会の定義するところは周囲の社会の概念という、確たる物を持たない概念になる。
田舎で過ごした概念が都会では通じない、逆も然り。まさにそれを倫理が起こしているという話だろう。その後に続く『文明を守りたいなら~』の節は、過言な気もするが。
 
それからざっと見ているが、そろそろ私は後悔している。
この本はジョン・ゴールドの言葉をよく引用していることと、人間至上主義によって成り立っているのであれば、今の情勢においては成立し得ない。
命のないロボットがなんの役にも立たないというのであれば、命の概念すら不定なAIはどうか。プログラムは人の手足となって動いたり、時に人間を凌駕する。これでは根底が覆ってしまう。
(そもそもこの本、ChatGPTがオススメしたのもあるのだが、ChatGPTに『お前は人間のように生命を持たないので価値がないようだ』と書いたらなんて返すだろうか)
 
 
おふざけはこの辺にして、そんな感情を抱きながらもまだ読み続ける。次は読み終えたあとになりそうだ。