ただ、ここにあるもの

でんねこが骨を埋める場所

セルフィッシュネス 自分の価値を実現するを見終わった感想

最初に、53/100ページ『道徳的灰色教』の最後に書かれている、最も私が共感しつつもこうでありたい、実践しようと感じた言葉から始める。
 
「まさかあなたは、この本の評価を『黒』で考えていらっしゃる?」
「もちろん! この本は人に勧められるものじゃないよ。それでも読みたければ否定しないけどね」
 
ここまででこのあとのことはおおよそ予測がつくので、あとは読みたい人でどうぞ。
 

 

 
読んで思ったのは
『肩をすくめるアトラス』を見よう(もっともこの本以上に長い)
『肩をすくめるアトラス』に出てくる言葉を知ろう。
 

肩をすくめるアトラス 第一部

肩をすくめるアトラス 第三部 (AはAである)

肩をすくめるアトラス 第二部 二者択一

 
この2つだ。この『肩をすくめるアトラス』からの引用が、この本には結構な確率で出てくる。
この本を前もって読むべきかと問われれば、答えはNOだ。なぜなら肩をすくめるアトラスは3部作であり、これをすべて読んでから望めというのはあまりに酷な話だ。
逆に「『肩をすくめるアトラス』を読まずして、この本の真意を知ることはない」と突きつけられるのであれば、私はその刃を甘んじてうけとめ、この本を記憶から消しておくことにする。
 
以下、印象深かった部分をピックアップ。
 
31/100ページ 『自分のいのちに、行きずりの他人の命ほどの価値しか認めないのは、自尊心が欠けた人です』
この書籍においてはオブジェクティビズムを『己と、己の愛する者の命を優先する思想』というように見えるが、これに傾倒しすぎると最終的には自己責任論に行き着きかねない。
言うなれば『私と、私の愛するものを除く『その他の者たち』の命は二の次にせよ』と言う論となる。
これは自分が読み解く中でも精一杯配慮した読み方だが、取りようによっては「自分を信望しないものが救われることは無し」と刃を向けることにもなる。
反意として
『逆に自分が溺れたときは、自分のために他人が命の危険を犯してくれることを期待してはなりません』
 

とある。

また、災害時にどうあるかについても書かれているが、これは『自助なくして他助・公助なし』と、防災士の講義の際ある大学の先生の言葉と一部合致する。
あくまで一部だ、オブジェクティビズムに拡張性があるとしたら、ここまで行き着くかもしれない。助けられる範囲を助ける。それが大切。
ともあれ、オブジェクティビズムとはなんと利己的であり、冷たさを感じる思想だ。だが、今これが必要に感じたのは、己の中にある利他主義への反発だからか。
 
では、オブジェクティビズムにおいて『優しさ』とは、どのようなことを指すのか?
優しさと愛の違いは? 慈愛は利他的な行為であり、この思想において反道徳的なのか?
 
残念ながら最後まで読んでもその答えは書いていなかった。なので持論となる。
  • 優しさとは、利他主義が生んだ寄生行為である。他者に『優しさ』を求め、自分は他者からの『感謝』を食して生きながらえる、セルフィッシュネス的な考えとかけ離れる行動原理である。
    優しさからの脱却には自尊心が必要だが、残念ながらこの本には(無責任なことに)毀損した自尊心の育み方については書かれていなかった。
  • 愛とは、利己主義と自尊心を以て弓を引き絞り、意志の矢で射抜いた相手に対する自発的行為。そして『相思相愛』は互いに自発的行為に至る、セルフィッシュネスの究極である。
 極めて宗教的な物言いになるが、原作ではこれを
『霊的に対等な相手を見つけたいと強く感じるもの』(注:この霊的という部分が自尊心になる)
『セックスは祝福の行為』

と表現している。

  • 慈愛とは、あらゆる対象へ自らの意思を明示する行為。己の意志を明示し、己のキャパシティの範疇で成し遂げることができる、偉業的行為と言える。
    当然これには対象の拒絶・拒否がついて回るが、真の慈愛は確固たる利己主義なくてして起こり得ない。
    仮にこの慈愛が中途半端なものであったのなら、それは単なる無差別寄生・無差別傷害行為となるだろう。
 
ともあれ、全部読み解く中で得たもの、得難いものとさまざまあった。
自尊心を踏みにじられ、日々を恐れながら暮らしている自分にとって、この本は実に眩しく見える。だが、黒い本の中から得られるものは確かにあるものだ。少なからず無駄ではない、そう思っている。(これは灰色主義ではなく、純粋に黒と捉えつつも読んだ感想だ。この本を読んでいる最中、何度渋い顔をし、何度苦痛を感じたか)
 
そして私はこの現代において、この本に傾倒せずにいられない人が多くいるだろうと感じている。
しかし、それこそこの本は否定している。なぜならオブジェクティビズムへの傾倒は思考の放棄ーーさらにいえば『利他主義への傾倒』であり、これを改めるための本だからだ。
もしこの本を見て『すべては白と黒だ!』『利他主義は愚かだ!』『この世界を利己主義に変えてやろう!』と目覚めたかのように叫びだす人がいたら、そっとしておこう。彼らを助ける義理はない。(なぜ? 上に書いているじゃないか)