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自分の抱える発達障害と障害観~ショートケーキに例えて~

ネタも切れ気味なので、今日は自分の抱えている発達障害や障害観について語ってみる。発達障害とは何か? と言う話は各自で調べてほしい。

 

自分の抱えている発達障害自閉スペクトラム症。昔で言うところのアスペルガー症候群だ。主な症状としてはコミュニケーションの不得手と独自のこだわり、それらにプラスして軽度の多動や五感の過敏があり、おまけに二次障害として統合失調症が積み重なっている。
土台に自閉スペクトラム症、中間のまとっているクリームが多動や過敏。そしていちごが統合失調症といったところか。嫌なショートケーキだ。

 

そんな嫌なショートケーキも慣れてくればなんとかなるもので、今はそれなりに生活をし、仕事をしている。

例えばコミュニケーションの増えてはたくさん書籍を読み、ケースを踏まえたうえで動き、できるだけ先を読んで動いたり発言したりしている。もちろん疲れるが、突発的に話して相手を混乱させるよりかは互いのためと思っている。

多動や過敏については自分を飾るものなので、周りの認識でなんとかしてもらう他ない。そのために働き口も特例子会社にしたり、その中でも「自分はこういう特性があるので配慮をしてほしい」と都度説明をしている。都度説明するのは大切で、なにかで上司が異動したときも忘れずにいてもらえる。もちろん上司側も引き継ぎを行っていると思うが、それでも念には念を押す。

最後のいちごは投薬でカバーする。昔のいちごは甘くなかったので砂糖をかけ、潰して食べていたという。症状が目立つのであればいくらでも薬を使う。QOLの改善こそが一番だ。

 

ここまで自分の障害に対する認知を書いてきたが、では障害観はどうかというと、悲観的には捉えていないものの治せるものなら治したいのが本音だ。仮に発達障害を改善できる薬があるのならば、治験を受けることも辞さない。

少なからず障害とは『差しる、のあるもの』と自分は捉えている。なので害を無くせるならなくしたい。シンプルなものだ。

なので『発達障害と思うけど特に気にしていない』という人や『障害という自分についている認知自体が煩わしい』という人に同族意識は持たない。障害と思わない人に『あなたも私と同じだ』と寄ることこそ、互いのためにならない。

逆に『発達障害を持っていて困っている』『障害を抱えてこの先どうしたら良いかもわからない』という人に対しては、できるだけサポートはしたい気持ちではある。(もちろんできることに限度はあるが)

 

そんな感じの障害観。持ったものはなんとかするしかない。ある手札でなんとかするしかない。そんな人生だと思っている。嗚呼、ジャックポットが降ってきてほしいね。