「自分ちょろいなぁ」と感じつつ返答を見る
新年1発めの記事は、昨年の積み残し。
以前送ったメールに対しての返答記事が来ていたので、ついつい読んでみました。
この記事の最後に『もう見ないでおこう』とシメタにもかかわらず見てしまったのは、pskさんのブログからそこそこのアクセスが来ていることにもありました。で、見てみたらこの記事が書かれていたわけです。気づいたの遅かったわ。
数多くの人から促されている「自立」について
現在、自分は親から距離をおいて暮らしています。
今回に限った話ではなく、医師やカウンセラー、社会保健福祉士の知り合いからも「親元にいるのは猫艾さんのためにならない」と言われ続けていただけに、ひとり立ちは喫緊の課題でした。
おおよそどのようなことがあったかを濁し、箇条書きにしますと
- 抽象的な指示を幾度と飛ばす
- 日常の話を常に自分に話しかけてくる*1
- 自分より症状のひどい対象を例に上げ「まだ軽いほうだ」と発破をかけられる。
- 自分の選んだ服を否定され、親の選んだ服を着せられる。
- 「軽く叩いてる」といいつつ何かにつれバシバシと叩いてくる。*2
- 薬に対して非常に否定的*3
- 医師に対しても否定的だが、薬ほどではない。
- こちらの悩みには最後まで話させることなく結論を言い放つ
- メールが帰ってこないと何度もメールや電話をかけてくる。
というわけです。これを見てどう思うかはそれぞれの意思に任せます。
その結果として精神が荒れたり気分を悪くしたりするケースは日常茶飯事。常々「荒れているなぁ」という印象を抱えられてしまうのは避けたいところですが、こっちもネットでしか吐き場がないという現状を察していただきたい。*4
ともあれ、親と距離を話してから大分落ち着いた方ではあります。昔のように全部が全部的とは思わなくなりましたし、自分の指針をどう決めるかも定められるようにはなりました。
恐らく親と一緒に暮らし続けていれば、自分は親の言いなりであり続け、自我を完全に失っていたでしょう。*5
その意味では健全な心を取り戻しつつありますが、やはり罪悪感は残ります。そりゃ親から逃げているわけですから。
この点を含め、まだまだ傷の後遺症は残り続けているのでしょう。
治すには遠く――などと考えますが、結局はどこかで『現状のまま苦しみ続けることが贖罪』と思い込んでいるのでしょう。
これをいかにして克服するか。もう一歩、2016年は踏み出してみたいものです。目標としてね。