オフィスという名の守り箱は、コストに見合うのか
厚切りジェイソンことジェイソン・ダニエルソンさんから日本企業へのメッセージ。特に最後のところはかなり辛辣だけど正論。(週刊東洋経済・新春合併特大号より) pic.twitter.com/FJbqldpN9G
— みにゃたろっく (@Tarominyax) 2015, 12月 25
この記事にも書かれているが、日本は「対面じゃなければ仕事にあらず」という節があるんじゃないかって考えてしまう。
以前の記事にも書いていたが、ランサーズやクラウドワークスには買い叩くようなひどい案件がたくさんある。Twitterでは案件を提示したものの、完成後に連絡が取れなくなる『バックレ』が度々上がっている。
これらはSOHOワーカー*1にとってスレば非常に迷惑な話だが、それ以上に……
『オフィスという箱がなければ信頼に足り得ない』
『対面じゃなければノーコストでも当然』
という旧然とした体制があるのではないか。
そもそもインターネットを使ったクラウドワーカーは玉石混交であり、いい人もいれば悪い人もいる。コストの概念をまったく知らないワーカーだっている。
しかし、この状況を逆手に取って安く買い叩いてきたからこそ、ソーシャルワーキングが安くなってきたのかもしれない。働く側にもコストなどの知識が求められる時代になり、個々の責任が重たくなってきているのだろう。
しかし、オフィスと言う箱物はどうだろうか。
不動産があるということはそれだけで会社の信頼を表し「この会社であれば任せられる」と考えてしまう。コストが高くても、頼んでしまうのは信頼と技術あってこそだ。
信頼における起業に任せるのは確かに安心できる。しかし、その結果が東芝やシャープのような「大企業でありながら内部はめちゃくちゃ」というお粗末な結果だとしたら、それは信頼に足りえるのだろうか。
今、改めて求められるのは技術ではないかと考えている。そこにオフィスという箱物は果たして必要なのだろうか。
確かに技術者集団がオフィスに固まってしまえば、頼む側も非常にやりやすいだろう。問題として『会社という枠にハマりすぎて思考が硬直化・新しい風を取り入れなくなる』という点を考えると、これはこれで怖いものがある。
ウェブ内の技術に関しては常に進歩しているからこそ、その場にとどまり続けるのが恐ろしく感じるのだ。
集団でその場にとどまるよりも個々が思考し、常に研鑽し合ったほうがいい。
現代の日本にオフィスがほんとうに必要なのかどうか。コストに見合うだけの昨日を果たしているかどうかは再考するだけの価値はあるのではないか。
そうこう考えた時に、ふと思ったのが「企業のブロックチェーン、並びにノード化」だ。これに関してはまた長くなるので、記事を改めようと思う。
*1:自宅で働いている人