ウンコメもクソリプも考慮しません、この3つだけ考えて書いていきます。
やっぱりウンコメだのクソリプだのという言葉は意見を骨抜きにする恐ろしいものだわ。相手に「記事書いたよー」てメール送ったけど配慮していたらもうスッカスカになってしまった。 何が恐ろしいって「失礼のないようにする」と「ウンコメと認識されないようにする」のダブルバインドに陥る点
— でんねこ@しばらく他人の地雷の上でダンス (@denneko) 2015, 12月 21
つまり、相手に敬意を見せつつ意見は通し、なおかつ失礼であってはならない。杜撰すぎてもいけない、丁寧すぎてもいけない。なによりその判断基準は相手にあるわけだから……あぁうん、これはダメだ。やっぱりこんな言葉考えだした奴にノーベル文学賞与えたいわ。
— でんねこ@しばらく他人の地雷の上でダンス (@denneko) 2015, 12月 21
ああああああああ!!
ウンコメとかクソリプとかやってらんないよおおおお!!!
ツイートで漏らしたとおり「ウンコメ」も「クソリプ」も同じように『相手が主幹となって判定するシステム』なので、自身のコメントが該当するかどうか考えると、それこそ阿吽の呼吸やエスパー思考が求められてしまう。
察しが悪いと言われているアスペルガー症候群を患っている身であるせいも多少はあるかもしれないが、普通に考えてもできるものではない。まさか健常者はこのような思考を常に保ち続けているとしたら、到底及ぶものではない。
したがって、精神衛生を考えて自分は『ウンコメ』『クソリプ』と呼ばれるものは一切考えないようにしていますし、もう考えたくないです。
前回の記事でやってしまいましたが、もうやだ。考えたくない。
「じゃぁ言いたい放題なの?それって悪くない?」ってことではありません。
次の3つを頼りに自分は発言していきます。
- 鏡を用意します。
- コメントとして言いたいことをそのまま読みます。
- 「イラッ」ときたらそれはいわゆる『ウンコメ(クソリプ)』です。
これだけでいいんじゃないでしょうかね。
要するに「自分が言われて苛立つことは相手にもしない」これが大切だと思うんですよ。
それで相手がどう思うかはもう知ったことじゃないです。
相手を配慮して文面をしたため、そして相手の顔を伺って記事を書く。
それって個性も何もあったものじゃないし、仕事じゃないですか。
それじゃぁこのブログがある意味が無いのです。
それに気づかせてくれただけ、身があるものと考えます。