『嫌な気分よさようなら』を読み終えたが、なにぶん長い本だったので強く感じた部分を書き起こすとする。
読んでて感じた細部の粗さ
最初こそ有益なことが書いてあると思っていたが、読んでいくにつれて細部のあらが目立ち、著者の苦労話とロールプレイングの多さが目につき、読めば読むほどに得られるものよりも徒労感が目立った。
たしかに歪みを構成する内容や、3カラム法、矢印法といったものは有益なのは認めるが、この本の要素を補填する記述はそれらを否定してくる。
例えば、「ヒットラーの批判はユダヤ人の悪を示しているのではない。ヒットラー自身が悪であるがゆえに批判は無視すべき」と言う趣旨の内容は、ヒットラーの取り巻く環境を無視し、あたかもヒットラーを純粋悪として論付けている、いわゆる極論(客観的事実に基づかない記述)だ。
「批判と非難はたいてい不快なものだが、不快感は通り過ぎていくものだ」とあると言う記述も、喉元過ぎれば熱さを忘れることを肯定し、同じことを繰り返すことを是認している。
この本をそのまま読んだ実直な感想で言えば『洗脳本』であり、心が弱っている人が安易にこの本を読んで局所局所をつまんだ場合、他責に走り、自己の悪なる部分を無視して行動に走るという大変なことが起こりかねない。
もし読むのであれば知識のある人とか、ある程度軽い病状で自己の認知がある、認知療法に興味関心がある人に留めるべきだ。病状が良くない中で救いを求めるために読むような本ではない。
認知療法の形は刺激があるも正当
それでも認知療法が良しとされるのは、パターン化されている部分を治していくという点において優れているからとも感じた。
認知の歪みを始めとした数々の歪みに対応するための記述法などは興味深かった。技法としては優れているが、内容を厚くしていく内におかしくなっていった……なんだかそんな印象も否めない。
ちなみにこれは増補改訂第2版で、コンパクト版も存在する。そちらは薬の種類・効能などが紹介してある後半部分が省かれているそうな。
結論:自分の求めるもの率「40%」の本 だが100%の本なんて存在するのか?
物事にはどこかで良し悪しがあって、いい部分もあれば悪い部分もある。
今回読んだ本は悪い部分がいい部分を上回ったが、いい部分もそれはそれであった。
100%いいと思える本は、正直に言うと存在しないし、それを求めて彷徨っているのは完璧主義の証左だ。何処かで粗が出てきて嫌な気分になる。嫌な気分が勝るか、いい気分が勝るかのどっちかだ。
それにしてもひどく時間をかけてしまった。認知の歪みこそあるのはわかったが、どうあるのか、どう治すかはこれからこの本と付き合いつつになる。いい部分だけを都合よくかじって生きよう。
