深く考えるのをやめた猫艾電介のブログ

特に深く考えず、引用を交えつつ書き綴ってくブログです

他人の意見をうんこ呼ばわりする人ってなんか臭うので近づきたくない

今回の記事はなんだかうんこまみれです。
お食事中の方は見ないようお願いします。

 

psk.blog.jp

ここで出てくるウンコメ*1というのを近頃度々目にする。
Twitterで言うところの「クソリプ」に相当するウンコメだが、どちらも嫌いだ。

なぜなら双方とも自分に向けられた嫉妬や憤りの感情を「ウンコみたいだから投げつけんな」って払っているからだ。つまり彼らにとって不要だと思うコメントはウンコのように臭く、気分を害するものと考えられる。

しかし、いかなる発言も自分が発言したからこそ帰ってくるのだ。
それこそ食べたものが消化器を通し、ウンコになるのと同じ理屈になる訳で……要するにコメントというのは総じてウンコと見ることすらできる。

うんこはな、肥料になるんだ。

昔のように下肥*2を使っている農家は、寄生虫などのあれこれもあると聞くし、まず居ないだろう。しかし、肥料として土を肥やし、土壌を豊かにする力があるのは確かだ。

コメントがウンコとするならば、コメントこそが自らの土壌を肥やす貴重な肥料でもあるのだ。肥料にも優劣あるだろうが、そこに汚いと思うだろうか。*3

リンク元のブログで問題提起されている「どこかしこかの出所がわからないコメント」というのは、いわば「原材料不明、出所不明の怪しい肥料」みたいなものだ。そういうのは相手にしなければいい。この部分には同調する。

ただ、あるコメントを有りがたく思う反面、一方のコメントを『ウンコメ』と揶揄(やゆ)し「言いたいなら直接言え」と言われると、表題通りーー

ちょっとあんた臭いからもういいです。すいませんでした」と言わざるをえない。

それもまた勝利だと思うし安寧にもなるけど、自分が同じ立場に置かれると、虚しい。というよりも、ウンコメを恐れてコメントしたくなくなる。

これはクソリプにも通じるが、クソリプを恐れるあまり相手へのリプライを躊躇してしまう人というのはそこそこいる。このクソリプ、ウンコメという言葉の概念そのものがネット上で疑心暗鬼を呼んでいる。

それって嫌じゃない。気軽とかそういうのというよりネットを使う意味が無い。

言われる分にはいくらでも言わせておけばいいし、反論したければとことん反論する。そういう体力がなければスルーするし、参考になるコメントはしっかり受け止めて知識にする。コメントはそういうのでいいと思うんだよ。

レッテル貼りをするぐらいなら、コメント全てをウンコにしてしまえ。
そして自分を糞まみれにしてしまえばいい。そうすれば言いたい人だけ来てくれるし、来たくない人は来ない。いいじゃない、アダルティなスメルだよ。

 

さて、このブログに関してはこれとは別にもう一つ、実名での云々も引っかかっている。これについても次の記事で延々書いているのでお付き合い願いたい。

*1:うんこみたいに価値が無いクレームコメント

*2:ウンコを発酵させ、肥料にしたもの

*3:そりゃ「直接ひり出したウンコを浴びれるのか」と言われたら嫌だけども、そういうのじゃない。あくまで文章的比喩だと理解して欲しい。